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血脈桜の咲く頃に

 蜂須賀は長曽祢の後ろにいた敵が此方に駆けて来たので咄嗟に刀で相対した。直ぐに力を緩めて敵の体勢を崩す。一瞬よろめく隙に首を狙い薙ぎ払おうとするが、相手も動きが速くかわされた。舌打ちをして、再び斬り掛かる。刹那、敵の姿が視界から消えたと思いきや身軽な動きで瞬時に屈んで下から斬り上げてこようとしていた。敵の持つ刀は短刀。確実に心臓を狙って斬り込みに来ている。だが、蜂須賀も負けてなどいられなかった。今はとにかく逃げなければ。一歩引いて背を仰け反らせ攻撃をかわすが、その際に胸元を斬られて衣服が破れる。金の衣服が汚れて白い肌着が赤く濡れた。

「くっ…!」

 再び刀で薙ぎ払うが空を切るだけで敵には当たらなかった。直後、横で光る物が見えて咄嗟に刀で叩きつける。どうにか避けきれたが、危うくやられるところだった。気付かなければやられていた。

 敵の短刀の速さについていけず、息を切らせて呼吸が荒くなる。ここで負けては虎徹としての恥。主の命を全う出来なかったことへの羞恥、愛する兄弟に情けないところを見せたくはない。何よりも、離れたくない。悲しませたくない。兄弟を思う感情が押し寄せた。

「…っ、贋作と同じと思ってもらっては、困るんだ!」

 このままでは追い込まれて殺られると判断した蜂須賀は刀を構える手に力を込めて集中させ、向かってくる敵目掛けて強力な一撃を喰らわす。

 刀を構える手を斬り落とし、一瞬にして心臓を狙い突く。刃が肉を貫通する生々しい感触。敵の体は力を失い、重みが増した刀身をその体から抜く。どっ、と溢れた鮮血。刀にも血が残り、払い落とすが汚れはまだ取れない。しかし、室内戦ではやはり短刀は強い。乱れて前に垂れた淡い紫の髪を後ろへと払った。

 

 浦島はあと二人いるはずの敵を探して辺りを見渡す。隠れているのは確実に分かっているので集中して気配を探る。けど耳に届き、目に映るのは兄たちが戦っている姿。これでは敵を探せない。瞼を閉じて周囲の音を確認した。刀が鬩ぎ合う音。畳を蹴る音。苦痛によって上がる声。息遣い。全てが耳に届く。あと二人の敵が発する音が必ず聞こえるはずだ。真っ暗な視界の中、音を聞き分ける。傍でかちゃり、鍔が鯉口に当たる音が届く。瞼を開けて音が鳴る方へと刀を振り下ろした。

「きっちゃうぞー!」

 目の前から槍が飛び込み頬を掠めて血が流れた。

「何するんだよー!?」

 確かに刀の音だったはず。けれども、目の前にいるのは槍。一番厄介な敵だった。冷や汗が流れ、一発では仕留められないと分かると後退して体勢を整える。頬から流れる血を手の甲で拭い、再び刀を構える。

「俺だって、虎徹なんだー!」

 正面から刀を振るう。敵も槍を構えて突こうとした。それを狙って地を蹴り、その場で跳躍して頭上から刀を振り下ろす。だが、敵も素早い。敵の左肩を斬り付けることが出来たが避けられた。しかし、これで分かった事がある。槍の後ろには確かに敵がいた。彼が聞いた音の場所は間違っていなかったのだ。

「そこにいたのかよ!?」

 唇を尖らせて、不満の表情浮かべる。後ろにいた敵もついに居場所が見つかり、隠れる意味などとうになくなった。彼に向かって刀を振り下ろす。身軽な浦島は敵の攻撃をあっさり退け、目の前で刀を構える敵を先に仕留めようと足に力を入れ、素早い突きで心臓目掛けて飛び込んだ。が、二人の間合いに槍が飛び込み攻撃する隙など与えてくれなかった。

「もうっ、なんなんだよ!」

 怒りを露わにしつつ手の動きを止める事無く、槍を蹴り、それを踏み台に跳躍して宙を舞い、敵の背後に回り込む。そのまま背中へと斬り掛けた。けれど致命傷には及ばず。痛みで動きが鈍くなったものの、やられてばかりではいられない敵も背後に回った彼に対して刀を振るった。

「うっ、うぅ……」

 一歩逃げ遅れた浦島は脇腹を斬り付けられる。これ以上深く食い込んではやられると判断して手の平が切れるのも構わず刃を押さえる。

「これって、…危ないんじゃないか?」

 独り言を呟き、刀の構え方を変えた。刃を下に向けて、確実に仕留める為に、痛みを必死に堪えながら腹部目掛けて蹴りを入れる。すると、敵の体がよろめいた。またも槍が攻撃の邪魔をしようと目の前に来たので、浦島は方向を変えて壁のある方へ駆ける。血がぼたぼたと落ちて痛みが全身を襲う。それでも、ここで怯むわけにはいかない。助走をつけて壁を中間まで登り、槍の後ろにいる敵を頭上から狙って刀を振り下ろす。

「俺はやられっぱなしの亀さんじゃないんだー!!」

 敵は刀で攻撃を除けようとしたが、浦島はそれを横には弾いて飛び込んだ。バランスを崩した敵は仰向けで倒れ込む。敵を無防備の状態にさせてから首を斬って息の根を止めた。一方、目の前には未だに槍がいる。己の背後を狙い振り下ろされてるのが分かった為、横に転がる事で攻撃を避けた。

「俺だって、虎徹なんだ!こんな所で負けてたまるか!」

 敵の攻撃をかわしたので槍が空振り、畳を突き刺す。その槍を掴み、腹に力を入れると腹筋を使い、相手の手へと浦島は蹴り込んだ。そのまま身を起こして心臓へと脇差を突き刺す。

「お、終わった……?」

 心臓から刀を抜くと崩れ落ちた敵の血が溢れて顔を汚す。返り血のべとべとした感触に気持ち悪さだけが残った。

 

 刀が相対する中、我慢比べをする敵と長曽祢。早く終わらせなければ置いてきた三人の仲間たちも疲労で倒れかねない。長曽祢は両手で刀を構え、更に力を入れて相手を押し切る事にした。加わった力で敵が一歩後退する。足にも力を入れ、体全体を使って斬り掛かった。

「押し通す!!」

 力に負けた相手は後ろへ体勢を崩し、刃で肉を裂く感覚が長曽祢の腕に伝わった。鮮血が溢れて畳を赤黒く染めていく。それでもなお怯まず、刀を向けて駆けてくる。動きが鈍った敵を避けるのは容易い。だが、ちょっとした油断が命取りとなる。長曽祢も本気の覚悟で刀を構えた。

「窮鼠猫を噛むという言葉を知っているか」

 問うたが敵は何も言わず。二人は同時に刃を交えた。

 交差する刀。すれ違い様に斬り合い、敵は先程まで長曽祢がいた場所へ。長曽祢は先程まで敵がいた場所へ。親玉との一騎打ち。

 静かに息を吐き、刀を鞘に戻す。カチン。鍔音が鳴ったと同時。後ろにいた敵が倒れ込んだ。後ろへそっと振り返ると仲間たちも丁度戦いを終えた後だった。

「これでもう、敵が押し寄せてくる事もないだろう」

「そうだね」

「気持ち悪い、早く帰ろうぜ?」

 浦島は返り血で顔や衣服を汚していて、不機嫌な表情で早急に帰順を訴えた。そんな彼に蜂須賀は懐からハンカチを取り出すなり顔を拭いてやる。

「帰る前に加州たちの元へ戻ろう。心配だ」

 二人は頷く。顔を拭き終えた蜂須賀は血濡れたハンカチを懐へと戻す。汚れがある程度落ちると浦島は先程よりも機嫌が直った。早く門の手前で待っているだろう仲間たちの元へ戻ろうと足を速める。

「お待ちくださいませ」

 兄弟三人が寺を出て、一本の桜の木の前を通り過ぎようとしたところで誰かに声を掛けられ、足を止める。振り返ると、そこには美しい女性の姿があった。

「この度はお助けくださって、ありがとうございます」

 深々と頭を下げる女性。三人は少々怪しげに女性を見つめた。が、悪い気配は感じない。敵でない事は確かだった。

「貴女は一体、こんな所で何をしているのですか?」

 蜂須賀は二人の前に出て問い掛けた。女性は瞼を閉じて、静かに口を開く。

「私はこのお寺を、そして福山城をずっと見守り続けていました。あなた方は刀の付喪神なのですね」

「どうして、それがわかった?」

 警戒心を露わに部隊長でもある長曽祢が問い掛けた。女性ならば驚いて動揺や恐怖の感情を出し兼ねないほど、低い声で問い掛けられたが、女性は動じずに静かに答える。

「あなた方が付喪神であるように、私はこの木の精とでも言えば良いでしょうか。名をケチミャク桜と言います。光善寺十八世穏誉上人が名づけてくれた名です」

 その場に居た三人が驚きの表情を浮かべる。確かに、戦の場で人間を見掛けた事はないが、まさか桜の精とこうして話す事になるとは思っていなかったからだ。浦島が興味津々で女性の前に立ち、首を傾げた。

「どうしてケチミャク桜って名前なんだ?初めて聞く名だし、そんな名前の桜、聞いた事ないよ」

「私は元々八重桜でした。この地方では桜前線の訪れと共に咲くマツマエハヤザキサクラの一種。名前の通り、早めに咲く桜です。でも、光善寺の改築が決まり、私は伐採されることが決まったので上人にケチミャクを授けて欲しいと頼んだのです。結果、上人は私が桜の精なのだと気付いて下さり、幸いにも伐採は免れました。この名前はここから来ているのです」

 浦島の問い掛けに女性は丁寧に答えた。納得したように彼や蜂須賀は頷く。けれど、まだ疑問は残っていた。桜の形が普通の桜と違い、形が歪である事。何故今、姿を現したのか。長曽祢が疑問を抱いていると女性はまたも丁寧に答える。

「私が歪な形になってしまったのは火事が原因です。元々は普通の桜の木だったのですが、火事の影響で枝分かれして育ったので、このような形なのです。さて、そろそろ本題に入らせて頂きましょう。私はずっとここで、このお寺とお城を見守っていました。けれど、最近になって刀の付喪神が歴史を変えようと押し寄せてきたのです。お城を落城しない為に戦を求めた刀たちと、このお寺に来たとされる義経公の人生を変える為に」

「そうだったのか。怖い思いをさせてしまって悪かったな」

「あなた方が謝る理由はありません。歴史を変えてはいけません。過去は変えてはいけないのです」

「そうだな」

 部隊長である長曽祢が納得したように頷き、桜の木に視線を移した。歪でも美しく咲く桜の木。歴史を守った事で、この木も守れたのだと思うと、やはり後悔する事など何もなかった。目に見えていないだけで、こうして救われている者は多くいるのだ。

 審神者がここへ送った理由。間違いではなかった。ここに来るのが今回きりだとしても、こうして他者から礼を言われた事は皆にとっても気持ちの良い事だろう。帰城したら報告しよう。そう心に誓った。

「貴女には少しだけ親近感が湧くよ。俺は蜂須賀虎徹と言うのだが、徳島にはハチスカザクラが存在するからね。君の事を守れてよかった」

「そうなのですね。私もあなた方に託して良かったです」

「託したってどういう意味だよ?」

 話を聞いていた浦島が再び首を傾げる。女性は少し話すのを渋った後に口を開く。

「この場所に結界を張って、敵の手から守っていたのです。そうしているうちにあなた方の存在を知り、一時的に結界を解いてみたのです。敵を探しておられる様子でしたので、もしかしたら討伐してくれるのかもしれないと思いまして。申し訳ありません」

 女性は頭を下げて謝罪する。初めに来た時の疑問は解けた。敵の気配がするのに、敵がいなかったこと。妙に薄暗く、静かだったこと。女性が張った結界の内側に居たのだと考えれば辻褄が合った。つまり彼らが来るまでの間、一人でこの場を守っていた事になる。それに気付き、感心の表情を浮かべた。

「一人でよく、守ったな」

「大事なお寺ですから。本当に助けて下さり、この地を、歴史を、守って下さり、感謝いたします」

 女性は桜の前に移動し、その幹に触れ、ふっと姿を消した。

 蜂須賀は何か似たような物を感じたらしく、木の前に立つと深々と頭を下げた。それに習って、浦島も頭を下げる。その様子を眺めていた長曽祢は二人の前に立ち、背をぽんと一叩きした。

「桜は人生の転機の象徴だ。これを機に、蜂須賀が変わってくれればいいな、浦島」

「何を言ってるんだ、贋作の分際で。だが、変わるのも良いかもしれないな。贋作が見えないフリをするのも悪くない」

「何言ってるんだ。お前にそんな演技が出来る筈ないだろ。同じ真作の浦島はこんなに元気で可愛いんだ。お前も同じように変わったらどうだ?」

「浦島は可愛いが、贋作に興味はない」

「言葉通じてるか?おれは浦島みたいに変わったらどうだって聞いてるんだが。なぁ、浦島?」

 浦島は大きな溜息を吐いて顔を上げ、二人の兄の間に入り、兄たちの手を繋いで山門を出ようとした。

「そんな事よりも、早く加州たちの場所に行こうよ。きっと待ってる」

 二人の兄は顔を見合わせた後、弟と手を繋いで門を出た。

 浦島に諭されるまま、寺を出るとボロボロな三人の姿があった。地に胡坐をかいて座り込み、彼らの帰りを待っていたのだ。加州が力なく片手を振って、仲が良さそうに見える兄弟を呼んだ。

「倒したんだね、お疲れ様~」

「そっちも、お疲れさん」

 皆がボロボロの姿で笑い合った。どうやら全員無事だったようだ。

「さっき、桜の精と会ったんだ!凄いだろ?」

「へぇ~、もしかして、ケチミャク桜かな?」

「え、あれ?知ってるの?」

浦島が自慢げに話すと、堀川が首を傾げて問い掛けた。浦島は少し残念そうに首を同じ方向に傾げる。堀川と和泉守、二人が頷いた。

「ケチミャク桜は俺らが松前城を落城する前から存在している。樹齢にして三〇〇年は越えてるだろうな」

 和泉守が珍しく説明して立ち上がる。

桜の樹齢を聞き、自分の兄である蜂須賀や己自身と年齢が大差ない事に驚きを隠せず、浦島は蜂須賀の方へ視線を向けた。兄は再び桜の木へ体を向ける。

「同じくらいの年だったんだ。親近感はそこからも来ているのかもしれないね」

浦島は頷いた。だが、二人と同調できない贋作である長曽祢はそっと視線を逸らした。

六人が立ち上がり、体勢を整える。長曽祢は懐から帰城するためのお守りを取り出すと空間を作り出そうとした。蜂須賀と浦島は未だ桜を見つめたままだ。完全に魅了されていると思った堀川は二人に話し掛ける。

「桜の花言葉は女性にまつわる言葉が多いからね。惹かれちゃったかな?」

「そんなことはない」

 蜂須賀は否定的になって首を左右に振り、視線を後ろにいた堀川に向ける。その様子に浦島も一緒になって後ろを向いた。

「けど、他の国では忘れないでって意味らしいよ」

「へぇ~、桜は日本には欠かせない花だから忘れる事はないと思うけどな~」

「けど、あのケチミャク桜は日本でたった一本の桜だぜ?人によっちゃ、忘れちまうだろうな」

 堀川の隣に移動した和泉守が桜を見つめながら呟く。

 確かにそうだ。たった一本だからこそ、覚えている者もいるが、たった一本しかないからこそ、人によっては忘れかねないことだってある。強く頭に印象付けなければ記憶の片隅に追いやられ、何時かは消える。人とはそういう生き物だ。そして、刀から人の身を得た彼らも、人よりも長い時代を生きている。人以上に忘れる事もあるだろう。それを考えただけで、なんだか切ない気持ちになった。

「血脈桜は色を変えるんだ。咲き初めは他の桜と変わらない薄桃色の花を咲かせる。けど、時間が経ち、散り際になると紅く色を染めるんだ。移り紅とも言うんだけど、血脈桜は二度、楽しめる桜なんだ」

 突然桜の説明をする堀川に二人の兄弟は頷いた。

「もし主から許可を貰えたら、次は遠征という形で花見に来たらどうかな?…だから、忘れないであげて。花言葉のように」

「わかった」

「うん!」

 堀川は微笑んで、桜に向かって頭を下げる。和泉守も頭を下げた。その瞬間、風が吹いて桜が舞った。まるで彼等に反応したかのように。

「ねぇ、蜂須賀兄ちゃん、長曽祢兄ちゃん」

「なんだ?」

「なんだい?」

 浦島は二人の兄の手を取って問い掛ける。

「また、来ようよ。そして、ケチミャク桜さんに挨拶しよう!次はお供え物も持ってさ」

 二人の兄は頷いた。今日ここで出会った彼女の事を忘れないように、仲間や主以外の第三者から与えられた感謝された時の気持ちも忘れないように。この戦は三人にとって、素敵な思い出になった。

「あ、兄ちゃん!見て見て、白いタンポポだよ!」

「あ、本当だ。珍しいね。初めて見たよ」

「こんなもんも咲いてるのか」

「なんかいい事ありそうだね!あ、もう良い事あった後だった!」

 くすくすと楽しげに笑う最愛の弟に二人の兄もつられて笑う。若干置いていかれた仲間の三人は微笑ましげに虎徹兄弟を見つめた。

「白いタンポポ見つけたし、あの桜の事も見つけて、助けることが出来たし、兄ちゃんたちも楽しそうだし、俺、幸せだな~」

「浦島が幸せなら、俺たちも幸せだよ」

「お前たちが幸せなら、おれはもっと幸せだな」

 こうして審神者に派遣された特別部隊はお守りを使って元の時代、元の場所へと帰っていった。

 

 そこに残されたのは揺れる白いタンポポと風に舞って飛んできた血脈桜の花びら。距離は近いが、桜の精はずっと、その木の下で人々に見つけられることを待っていた。

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