そねうら合同誌

黒くて分厚い雲が空を覆い、地上を照らしていた太陽は雲に隠れて辺りは陰によって暗くなる。じめじめとした湿気が熱を帯びて、その場にいた者たちの体温を上げて汗をかかせた。汗を吸収した衣服が、肌にべたべたと纏わりついて気持ちが悪い。
今にも降り出しそうな空模様。血生臭い地上で返り血を浴びていた者たちはある程度戦を終え、一度引き返すことを決める。
土埃や血で汚れた六人が一つに集まると、白い毛で覆われた小さく可愛らしい狐が六人の前に突如現れる。狐は宙に浮いた状態で辺りを見渡した後、六人のうちの一人に視線を移して口を開いた。
「帰城されるのですか?」
狐の問い掛けに彼は頷いた。すると、畏まりました、と丁寧な返事を返して頭を下げた狐は自分の霊力を操り、一つに集中させ、周囲を白く発光させた。辺り一面が眩く光り、血で汚れた戦場から一瞬のうちに六人を光で包んで姿を消した。
眩い光に目を開けていられなくなり、ぎゅっときつく目を閉じた。普段であれば暗くなる視界も、とても強い光の所為で白く見えた。やがて光が収まり、白い視界が黒に変わって閉じていた瞼をそっと開ける。目の前に映る景色は戦場から見慣れた大きな屋敷へと変わっていた。帰るべき場所である本丸へと。
空は雲一つない快晴の天気。戦場では今にも雨が降り出しそうな状況だったのが嘘のようだった。時代が違えば天気も違うのは当たり前なのだが、それでも急に天気が変わると間が抜けそうになる時がある。そんな快晴の天気の下で本丸を眺めた。見慣れたお屋敷の門の前に戻ってくる度、思う事があるのだ。〝今日も無事、帰ってきたんだな〟と。
「長曽祢兄ちゃ~ん!」
複数の足音が聞こえる中、元気で明るい声が混ざって己を呼んでいるのが聞こえた。足音がどんどん大きくなり、こちらに近付いてくるのがわかる。そんな無数の足音の中から軽く地を蹴って走る足音が混ざって聞こえた。
「長曽祢に~ちゃ~ん!」
再び聞こえる明るい声。門を潜って屋敷の敷地内に入ると同時に海のように蒼い衣装を身に纏った少年とも呼べる容姿の彼が六人の元、正確には六人のうちの一人に向かって飛び込んだ。
小さな体が地面に落下をしないように両手を広げて抱き留め、飛び込まれた反動で一歩後ろへと下がる。足に力を入れる事で己の体も支えてはどうにか転倒は免れた。腕の中にいる小さな体がもぞもぞと身じろいだかと思えば腕に力を込めて強く抱き締められる。大きな身体、その胸元よりも下辺りに顔を埋めて額を押し付け、勢い良く顔を上げて満面の笑みを浮かべていた。
「長曽祢兄ちゃん、おかえりなさい!」
「あぁ、ただいま浦島」
お迎えの挨拶。帰りの挨拶。戦帰りに門の前で言葉を交わす度に思う。〝生きて帰って来られて良かった〟と。
守りたい者がいる。大切な仲間の為に。大事な兄弟の為に。愛する人の為に。
刀の身として生まれ、審神者の命で動き、任務を全うする。刀にとって、人の情とは必要のない物。しかし、人の身として顕現してしまった以上、必要のない物と言えるのだろうか?
長曽祢は考えた。何の為に戦っているのか。仲間に問うと返ってくる答えは皆同じ。歴史修正主義者を倒す事。歴史の修正を防ぐ事。言うだけなら簡単だ。頭の中でも理解している。だが、自分たちが関わった場所に送り込まれた時、その考えが変わるのだ。〝ここで流れを変えられれば…〟と。
歴史の流れを変えれば、大切な人を守る事が出来る。大切な人を守る事が出来れば、その人の成し遂げたい事を成してやる事が出来る。良い事尽くしだ。なぜ、歴史の改変を止めなければいけないのか。
過ぎた過去に囚われ、悩み苦しむくらいなら、感情など必要ないのだ。悪い事ばかりである。誰もこの気持ちを理解してくれない。理解しようとしないのかもしれない。誰も、俺の気持ちなど分からない。
「長曽祢兄ちゃん。大丈夫だよ」
何を根拠に大丈夫と言うのだろうか。けれども、彼は大丈夫と繰り返す。その言葉にどんどん嫌気が差してくるが温かい手で己を抱き締め、背をぽんぽんと撫でて慰めるのだ。
「大丈夫。俺がいるから大丈夫」
どうして彼がいるから大丈夫なのかわからない。それこそ理解出来ない。理解しようと考えても、答えに辿り着けない。彼は真作。俺は贋作。偽物が本物以上に世間に知れ渡り、悠々と生きている。罪を背負い過ぎた偽物が本物に許される筈がない。それなのに、目の前の小さな彼は大丈夫と言葉を繰り返すのだ。
「贋作がどうとか、関係ないだろ」
優しい口調で彼は言った。抱き締める腕には力が籠った。
「大丈夫。俺は兄ちゃんの事、一人にしないよ」
「浦島……」
いつ、どこで一人が嫌だと言っただろうか。思ったことも、口に出した事もない言葉。目の前の彼は一人にしないと抱き締めてくる。彼の目から見て、己は独りぼっちに見えているのだろうか。実に情けない話である。贋作とはいえ、目の前の小さな彼の兄。長男だ。それなのに心配されてしまった。
彼の言う〝大丈夫〟は己の存在を許してくれているように感じた。無邪気で無垢な少年は嘘をつかず、言葉通り何時でも傍にいてくれるのだ。
「長曽祢兄ちゃんは一人じゃないよ。俺がいる。蜂須賀兄ちゃんだっている。一人で抱え込まなくていいんだ。俺が傍にいるんだから、頼ってよ。大丈夫、俺は長曽祢兄ちゃんの事、認めてるから」
真作が贋作である自分の事を許し、罪深い己の存在を認めてくれる。それは長曽祢にとって、とても大きい事だった。罪の重さに押し潰されそうになる時、浦島が傍に居るだけで気持ちが緩和された。戦場で歴史の改変について悩み始めた時は、それは駄目だと諭してくれる。
普段から笑って無邪気に走り回る彼は一見何も考えてなさそうに見えるが、その通り。何も考えていないのに〝大丈夫〟という魔法の言葉で長曽祢の行き過ぎた感情を抑えてくれた。血が繋がっていなくとも、兄弟であり、真作だからか、彼の言葉だけは許せた。
これこそが彼なりに考えた結果なのかもしれない。