そねうら合同誌
「兄ちゃん!」
空色の蒼がよく似合う、少年の姿をした一振りの刀は目の前に佇む二人の兄に片手を振って叫んだ。
「ねぇ、行こうよ、兄ちゃん!」
けれども、二人の兄は首を横に振る。来てくれない兄たちの反応に橙色の髪を揺らして首を傾げた。不思議そうに二人の兄を遠くで見つめるが、兄たちが来る様子は一向になかった。
「なぁなぁ、行こうよ、蜂須賀兄ちゃん。長曽祢兄ちゃん」
ぶーぶー。唇を尖らせて不満げな表情を浮かべ、尚も二人の兄の名を呼んだ。それでも首を横に振るばかりで来てはくれなかった。
自分から手を握って連れて行くしかない。
そう思った彼は兄たちの傍へ駆け寄った。二人の兄は手の平をこちらに向けて、来るなと目で訴えだしている。思わず足が止まってしまう。
「なんで駄目なんだよ?行こうぜ、兄ちゃん!」
再び兄の元へと駆けていく。両手を広げて抱き締めようとその場で跳躍し、二人の兄へと飛び込んだ。二人の兄は目を伏せて俯く。
気付けば距離はまだ遠い。抱き締められない。抱き締めてもらえない。目の前が暗転して真っ暗になる。深い闇が彼を覆った。
「え…?」
飛び込んだ先、地面が無くなり、どこまでも深い闇へと落ちていく。
「え、誰か、助けて…兄ちゃん、蜂須賀兄ちゃん…長曽祢兄ちゃん!」
重い瞼をそっと開けると視界には見慣れた天井があり、額にはひんやりとした物を置かれている。それが体の内側から感じる熱を冷やしてくれて、とても心地良かった。
体が鉛を付けられているように重く、怠い体を起こすと額から冷えた手拭いが落ちた。それを両手で拾って周囲を見渡す。
「手入れ部屋…?」
刀の手入れに必要な道具が部屋の隅に纏められているので、見知った部屋だとわかり、ぽつりと呟く。
どうしてここに…。
不思議に思いながらも、大事な事を忘れているような気がして首を傾げる。でも何も思い出せなかった。すると突然障子が開き、見慣れた二人の兄が室内へと入ってきた。
「浦島!」
「目を覚ましたんだな!」
見慣れた二人の刀が今にも目玉が飛び出しそうな程に両目を見開いて驚いた表情を浮かべていた。出目金とまではいかないが、少しだけ面白い。そう思い、少しだけ噴き出してしまう。
身を起こそうとしていた彼の支えるように背中に手を回し、片手は布団の上に置き、下から表情を覗き込もうとする真作の兄。障子が開いたままなので日の光が室内へと入り、薄紫の長い髪の間から洩れる太陽の光と合わせると、藤の花を連想させて美しい。同じ真作だというのに、目の前の兄は真作が故の美しさを身に纏っており、本当に兄弟なのかすら疑ってしまいそうになる程だった。
「あぁ、よかった。浦島。大丈夫かい?どこか痛いところとかないかい?」
必要以上に心配する兄の問い掛けに首を左右に振って大丈夫、と答えた。もう一人の兄が二人の傍に寄り、大きい両腕で二人を抱き締める。真作の兄も彼を抱きしめる状態となり、二人分の温もりを感じた彼は深く息を吐く。安堵の表情を浮かべて自然と笑みが零れる。
「病み上がりなのだから、無理はするなよ。お守りの力があるから大丈夫だとはいえ、生きていてくれてありがとな、浦島」
あぁ、そうだった。彼は自分の身に起きた事を思い出す。
出陣中、敵の攻撃を大胆に受けてしまい、そのまま倒れてしまったのだ。自分に身に何が起きたのか理解出来ずに、その後の事は覚えていない。だが、半身でもある己の刀、脇差が手から滑り落ちて攻撃を防げずに倒れてしまった事は覚えている。その時に刀は折れてしまったのだろう。自分は折れた。一度、死んだのだ。
だが、今はこうして生きている。審神者から預けられたお守りの力のおかげ。お守りが無ければこうして話す事も、抱き締める事も、温もりを感じる事すら出来なかったのだろう。後で主にもお礼を言わなくちゃ。心の中で呟いて小さく頷いた。
二人の兄の温もりを感じ、あの時の状況を思い出すと、今自分がこうして生きていられる事に現実味が湧いてきて、安堵と嬉しさで思わず涙が溢れ出た。止めようと頑張ってみても目から出る滴は止まる事を忘れてしまったのか頬を伝い、流れ落ちる。これは悲しみの涙ではない。それならば、笑う事にしよう。
「へへ、蜂須賀兄ちゃん、長曽祢兄ちゃん。ただいま」
「あぁ、おかえり浦島」
二人の兄から離れないように、強く強く、腕に力を込めて抱き締め返す。
いつも通りの自慢の笑顔を兄たちへと向けたのだった。
「俺、生きてた」
「そうだな」
目を覚ましたのが昼頃。その日の夜は一人の兄に呼ばれて縁側で腰を下ろして月を眺めていた。丸い月は綺麗に発光して世界を照らしている。月が無ければ、世界を照らす物がなくなって闇に覆われてしまうんだとか。そんなことが本に書かれてあったのを思い出す。世の中上手く出来ているんだな~と思ったが、そういう世界の仕組みなどはよくわからないので、月は丸くて綺麗なんだという単純な感想で良いだろう。浦島には難しい事はわからない。世の中単純で良いのだ。それが彼の素直な感想である。
「すまなかった……」
突然謝りだす隣の兄に視線を向けると顔は俯いており、どこか暗い表情を浮かべていた。浦島は困った表情を浮かべ、大きな二つの手を一つに纏めて包み込むように両手を握る。
「大丈夫だよ。俺はずっと兄ちゃんの傍に居るからさ」
「浦島……」
兄の顔が上がり、視線が絡み合う。月の色と同じ金の瞳。己の持つ翡翠色の瞳とは違うところから、血が繋がっていないのがわかる。それでも彼は贋作の兄を慕っていた。強くてかっこよくて、仲間思いで、兄弟思いの強い兄を慕っていた。
「おれのせいで、お前を傷付けてしまった」
けど、弱い兄の一面を知ってしまった。今にも折れてしまいそうで、どこか遠くへ行ってしまいそうな兄。一人でずっと抱え込んでいたのに気付いてやれなかった自分を情けなく思った。
「長曽祢兄ちゃん」
握っていた手を離し、指を絡めて両手を繋ぐ。視線をしっかり合わせて名を呼ぶ。長曽祢は緊張で喉を鳴らして咥内に溜まった唾を呑み込んだ。緊張させるつもりがなかった浦島は直ぐに笑みを浮かべ、繋いだ手に力を込める。
「いっぱい傷付いたのは俺じゃなく、兄ちゃんだろ?」
「え?」
繋いだ手を離し、大きな体に両腕を回して抱き着いた。胸元に顔を埋めて強く、強く抱き締める。
「俺が、傍にいる。傷付いた兄ちゃんの手当てもする。だから、どこにも行かないで」
「浦島、ありがとな」
己の身が顕現される前から共にいた二人。だからだろうか、離れ離れになってしまう事を考えると心が辛くなり、傍にいないと不安になる。それは兄弟だから、という理由だけではないと感じていた。
人の身を手に入れた以上、弱いところを見せたっていいじゃないか。隠す必要なんてない。それでも言いたくないというなら、気持ちが収まるまで傍にいよう。それで気持ちが落ち着くのなら、辛いことが消えていくのなら、笑っていよう。
「兄ちゃんだけに見せる笑顔だぜ!」
「みんなに向ける顔とあんまり変わらないだろう」
顔を上げて笑い掛けたら傷付く返答が返って来たので唇を尖らせた。拗ねた弟の機嫌を直そうと頭を撫でられるが、尚も拗ねたフリをする。
気付いてくれなくても、兄の前では兄だけの笑顔を振り撒こうと誓った。贋作の兄だけど、血は繋がっていないけど、この大好きな兄の為に。特別な存在の彼にだけは特別な自分を見せようと。弱いところも全て曝け出し、兄が心を許してくれるように、自分も全て許そうと。
「おれはどこにもいかないさ。ずっとお前の傍にいる。今までだってそうだったし、今も、これからもな」
「うん!」
長曽祢もまた機嫌が戻り、元気よく返事をした弟に笑い掛けた。そして強く抱き締める。頬を擦り寄せたら髭が当たって痛いのか、小さく痛い、痛いと笑いながら訴える浦島の声が聞こえた。
真作の弟の言う通り、二人で共に過ごしていた時間は長く、常に傍にいた。だからこそ離れられなくなってしまったのかもしれない。常に一緒にいるからこそ、欠けているだけで不安になる。二人でいるからこそ、一緒にいると安堵して、辛い事も自然と忘れていくのかもしれない。
その事に気付かされ、初めて手放してはいけないことを知った。己を庇って倒れた浦島を見て、恐怖を感じたのは他の誰でもなく、己自身だったのだ。動かなくなってしまった弟を見て、全てがどうでもよくなった長曽祢は共に逝く事も考えた。だけれど、彼の懐にあったお守りが淡く光り、折れた刀は元に戻り、一度止まった呼吸は再開され、息を吹き返した。その瞬間、長曽祢にも希望が生まれ、目の前の敵に刃を向けた。そこでやっと戦う事が出来たのだ。
仲間が知れば、呆れて叱責されるだろう。現に、最近の長曽祢の様子を懸念して痺れを切らしていた者も少なからずいたはずだ。でも、浦島と共にいた事で、彼が傍にいると言ってくれたおかげで、やっと正気に戻る事が出来たのだ。最愛の弟からは離れられない。守らなければ。長曽祢は彼の前で固く誓った。
「おれは、お前の為に戦おう」
「なんで俺のためなんだよ?」
「守りたいものがお前だからだ」
「へへ、嬉しいな。じゃあ俺は兄ちゃんに守られる!」
月の光に照らされた夜の縁側で二人は笑い合う。
そうしてお互いが傍にいて、常に一緒に支え合ううちに、いつの間にか『好き』という気持ちが芽生え始めていったのだった。けれどそれは、また別のお話。