最愛の君へ送る言葉は
「芥川君!!」
何者かに押されて転倒する。バランスを崩して派手に倒れてしまうが重い体を起こして顔を上げると、目の前は真っ赤に染まっていた。
まるで、血の海だ。
「君と、僕の……望み通りに、なったよ」
敵の攻撃を受けた目の前の彼は頭や腕、胸元から大量の血を流しながら告げる。
至極満面な笑みで。
「ひぃっ……」
恐怖で一歩後退る。手足が震えて、身体が言うことを聞かず、思う様に動けない。
彼は一歩ずつ近付いて来る。弓を構え、矢の切っ先がギラリと光った。
「さよなら、芥川君」
「うわぁぁぁぁ!!」
「芥川!」
目を覚ますと、不安そうに顔を覗き込む彼がいた。彼は優しい手付きで額に浮かぶ汗を手の平で拭う。
「芥川、大丈夫?」
その声や仕草に安堵した芥川は頷いて瞼を伏せる。優しい手付きが心地良いが手が汚れてしまうだろうと心配してしまう。だが、声に出す気力は無かった。
やがて彼は一度、ベッドを離れて箪笥からハーフタオルを取り出した。汗で濡れた手を拭いてから芥川の元へ戻ると、再びタオルで額に浮かぶ汗を拭う。
「また、怖い夢でも見たのかい?」
「……」
「一難去って、また一難だね」
「島崎……」
恐怖で震える手を彼 島崎の手に重ねて動きを制す。すると島崎は汗を拭うのを止めて、代わりに長く黒い艶のある髪に指を通して優しく撫で梳いた。
「島崎、君は消えたりしないでくれ、お願いだ……」
「……うん、僕は消えたりしないよ。 大丈夫だから」
島崎は芥川の言葉にチクリと胸が痛み、眉間に僅か皺を寄せる。それでも、悪夢で魘された恋人を慰めてやろうと優しく頭を撫で続ける。苦しんでいる相手を目の前に、冷たい言葉を投げ掛ける程、冷酷ではない。しかし、心の中では負の感情が渦巻いていた。
こんなことを何度も繰り返しては不満だけが溜まってしまう。芥川が悪夢に魘されて目を覚ますのは今日だけではない。毎日とは言わないが、何度もある。それが最近になって、徐々に回数が増している。だが、夢の内容は話してくれない。それでも、わかってしまった。
今の島崎は再転生をしている。消えないで欲しいと今にも泣きそうな声で懇願されては誰でもわかってしまうだろう。
一度消えてしまった島崎藤村の夢を見ているのだ。それが酷く、今の島崎にとっては心苦しかった。
「君の心の支えになれないのが、とても悔しいよ……」
再び眠りに就いてしまった芥川に向けて、小さな声でぽつりと呟いた。
図書館の窓側のスペース、大きな窓ガラスから日の光が入り、辺りを照らしている。そこには机が並べられており、窓側の端に書物を並べ、ペンを走らせる一人の人物がいた。
「ねぇ、国木田。 ちょっと質問いいかい?」
「おっ、島崎か。 どうした?」
桃色の髪が揺れて爽やかな笑顔で振り返った。国木田はペンを走らす手を止め、隣に座る島崎に視線を移す。
「心を傷付けない恋人の別れ方を知っているかい?」
「おっと、難しい質問だな。 島崎は芥川と別れたいのか?」
「……うん。 最近の芥川は転生前の島崎藤村のことばかりを考えるようになって、それが辛いんだ」
「そうか、それは困ったなぁ……」
芥川と島崎の関係を応援する国木田にとって、とても残念な話であり、簡単に別れさせたくない思いもあってか、悩み始める。すると、二人の間に金の髪を揺らした明るい青年が現れた。
「よっ! お前ら、何てしてんだ?」
「花袋か、丁度良い。 島崎の相談、乗ってやってくれ」
「え、花袋が?」
「どうしたんだ、藤村?」
国木田は逃げるように田山へ島崎を預けると書物を開いて自分の世界に入ってしまう。
田山は島崎の隣に座り、何があったのか状況を聞くと、渋々と田山に芥川のことを話す。すると、表情を曇らせた田山は瞼を伏せて首を横に振って見せた。
「あいつも、あいつなりに苦しんでるんだろう。 罪悪感っていうのか、トラウマを抱えちまってるんだ」
「トラウマ……」
それは芥川と一人目の島崎が潜書した時の話。芥川は島崎に庇ってもらったが、同時に彼を失ってしまった。その日は最悪にも芥川が島崎に〝死んでしまえ〟と悪態を吐いてしまった日であり、その返答に、島崎自身も反抗することなく頷いてしまったと聞いた。その出来事がトラウマとなり、芥川を苦しめているようだ。
「きっとな、お前を巻き込みたくないし、心配を掛けたくないから、何も話さないんだろ。 藤村にまだ、あいつと別れたくないって気持ちが少しでもあるなら、傍にいてやってくれないか」
「花袋……」
親友の言葉に頷いた島崎は芥川の元へと向かう。
「流石だな、花袋」
「俺にはあいつの気持ち、わかるからな」
「芥川のことか」
「あぁ。 それに、藤村には道を踏み外してほしくないんだ」
「きっと、花袋だから、気持ちを変えたんだろ。 俺が同じ事を言っても、気持ちを変えなかったと思うぜ」
「それはあるだろうな」
国木田と田山は小走りに図書館を出て行く島崎の後ろ姿を見送った。
「芥川!」
「おや、島崎か。 急にどうしたんだい?」
「少し、話があるんだ。 部屋に来てくれる?」
「どうして僕が……」
眉間に皺を寄せて嫌がる芥川の手首を掴んだ島崎は強引に部屋まで連れ込んだ。
島崎は自分の部屋に芥川を連れ込み、ベッドに無理矢理座らせると、そこでやっと手を離す。状況を飲み込めない芥川は心底嫌そうな表情で島崎の瞳を覗いた。
「なんだい、いきなり」
「芥川、今日は一日、僕に付き合ってよ」
「はぁ? 言ってる意味がわから……な……」
反抗する芥川に対して、島崎は彼の背に両手を回して強く抱き締めると、優しい手付きで背を撫でた。その様子に困惑する芥川は戸惑い、どうすればよいか分からないままに両手を彷徨わせた。
「何かあったのかい?」
いつもと違う島崎に芥川は問い掛けるが首を横に振った島崎は長い睫毛を揺らして瞬きをする。そうして芥川の蒼い瞳を覗いた。
「芥川、君が愛してくれる僕はここにいるよ」
「……島崎」
「君が以前の僕に対してトラウマを持っているのはわかった。 なら、僕がそれを忘れるくらい、君を沢山愛して、その苦しみを僕との思い出に塗り替えてあげる。 そしたら君も、もう苦しむ事はなくなるよね」
「……なんだ、僕は君を困らせていたのか」
芥川は己の不甲斐無さに嘲笑うと溜息を吐いて島崎を抱き締める。その小さく感じる背をそっと上下に撫でて後ろへ倒れ込めば、ふかふかなベッドに背を沈ませ、腕の中の島崎に頬を擦り寄せた。そうして、唇へと口付けを送る。
「それなら、いっぱい君をいただこうか」
「うん、沢山僕を貰って。 そして、君の心を僕で満たして」
「嫌がっても、止められないからね」
「君こそ、途中で飽きたら許さないから」
二人は共にベッドの中央へ移動すると、向かい合って抱き締め合う。そうして、どちらからともなく言葉を送った。
「いつまでも、愛してるよ」