嫌いが好きになる瞬間
「あ〜あ、雨って憂鬱だよね」
「そうか?」
「湿気で身体はベタベタするし、出陣だと足は取られるし、濡れた身体で戦うと動きづらくて気持ち悪いし、空は暗いから気分も沈むし、良いことないじゃん?」
「そんなこと、ないと思うけどな」
縁側に立ちながら、雨降る庭を眺める。
普段なら通り過ぎる縁側だが、金髪の刀剣男士が相棒の鵺を抱えながら座っていたのが気になり足を止めてしまった。
どうして、陰鬱な雨を眺めているのか不思議だが、何か悲しいことがあったのではないか、それとも過去の思い出に浸っているのか。この本丸の初期刀として、心配にならないわけがない。しかし、声を掛けようとするも、出てきた言葉は心配の言葉とは掛け離れたものだった。
これでは傷付けるだけではないか。頭の中ではわかっているのに、何故だろうか。意思とは違う言葉が出てしまう。
「そんなに雨が嫌いか?」
振り返ることのない彼は前を見据えたまま、低く冷たい声で問い掛ける。
少し恐怖を感じた加州だが首を左右に振って気分を落ち着かせた。恐怖を覚えてしまう己に負けてられないと思ったのだ。
何が好きで、何が嫌いかなんて、個人の自由で、嫌いなものは嫌いなままでいいはずなのに、何故だろう。ムキになる。ムキになることで自分を保つ。
「俺は嫌いだね。濡れるし、汚れるし、良いことじゃん。汚い俺達を見たら、主だって愛してくれないよ?」
「なら、好きにさせてやろうか?」
「はぁ?」
振り返った彼の口元は弧を描いていた。にたりと笑った彼の表情に思わず眉間に皺がよる。
「ありえない」
本心が漏れてしまう。
「嫌いなもの、克服してみようぜ、初期刀様」
わしゃりと頭を撫でられ、子供扱いされた事にムクれてしまう。悔しくて睨んだが、彼は相棒の鵺を肩に乗せたまま、その場から姿を消した。
取り残された加州は雨降る庭を暫く眺めては再び、ありえない、と口にしたのだった。
あれから数週間が経った雨の日の話。
陰鬱な気分で雨を見上げていたが仲間の出陣を見送る時くらい、暗い表情を隠そうと思ったはいいが、なかなか隠せずにいた。
「本当にわかりやすいよなぁ」
何故だか、最近は良く話す事が増えた金髪の彼が呆れ口調で呟く。隠しても無駄なら隠すのを止めよう。あからさまな不機嫌面で彼を見つめた加州は額をぺちっと指で弾かれる。
「出陣の見送りくらい、もっと可愛い顔してろよ」
「俺はいつだって可愛いの」
「どこがだよ」
「あんた、目が腐ってるんじゃないの?」
「いって!!」
べしっ。彼の背中を強く叩き返す。これくらいは許される範囲だろう。唇を尖らせて、更に不機嫌な表情を浮かべて見せた。
「はいはい、悪かったよ。ほい、これやるから機嫌直せよ」
「なに、これ?」
「見ればわかるだろ?傘だよ、傘」
「おーい、獅子王!早くしろ!!」
「わかってる、今行くー!」
仲間に呼ばれた獅子王は加州の片手を引くと、その手の平に黒と赤で彩られた傘を置いて握らせる。
「言ったろ?好きにさせてやるって」
「……、あの時の?」
「獅子王、置いてくぞ!」
「今行くー! っと、それじゃ、行ってくる!」
「あ、ちょっと!」
加州の引き止めには応じず、片手をひらり振って仲間の場所へ駆けて行く。部隊が揃うと仲間達は門の外へと姿を消した。
礼を言えぬまま、彼を見送った清光は受け取った傘に視線を移す。まるで、自分の刀のような色合いだと思った。
雨を好きになるなんてありえない。そう思いながらも、受け取った傘を開く。何の変哲もない普通の傘。万屋に行くと売ってるような少し可愛いお洒落な傘。
やっぱり雨は憂鬱だ。心の中で呟きながらも、貰った傘を眺めて本丸に戻る。門前から本丸の玄関先まで、あまり距離はないが、ザーザー降りの雨の中、風邪を引かぬ為に、濡れないようにするには傘が必要不可欠だ。それでも濡れてしまう時の方が多いので気分は下がるし、濡れて気持ち悪いので、やはり雨は嫌いだ。好きにはなれない。心の中でそう思った。
「ん?」
暫く眺めていた傘は濃い赤で色が変わる。しかし、それは全体の色が変わったのではなく、所々変わっただけ。何故だろうか。首を傾げながら、濃い色に変わった一部分に目を凝らす。
「桜が、咲いた……?」
その傘は雨の日にしか見ることの出来ない桜が浮かび上がる傘。普通の傘ではない、それは……
「ずるいなぁ、雨じゃないと見れないじゃん」
---負けた。
降参の溜息を吐いた加州は雨の中、足を止める。普段ならば一秒でも早く本丸に戻りたいと思うところだが、傘に散る桜を見てしまうと戻りたくても戻れない。
やはり桜は美しい。
憂鬱だった気分はどこへやら。
この傘に咲く桜は眺めていたくて、本丸に帰る気を失せてしまった加州は気持ちが弾み、暫く雨を満喫した。
「これじゃ、好きになっちゃうじゃん」
こうして嫌いなものを克服して行くのだろうか。自然に笑みが溢れた。
雨の中、戦っているであろう彼のことを思う。
「雨も案外悪くないね」