片思いは両思い
パリンッ!
陶磁器の割れた音が広い厨に響く。黒色背景に桜の模様が描かれており、夜桜をイメージした美しい茶碗だったが、引力に従い地に落ちると、音を立ててバラバラに割れた。
「あ……」
気付いた頃には遅く、間抜けな声だけが漏れる。
足元に散乱する割れた茶碗を見下ろした後、破片を拾おうと手を伸ばしたが……
「いてっ」
破片が皮膚を切ると指から血が滲んで滴る。深い傷ではないが痛みは感じた。普段から傷を付けないように気を使っていたはずが、どうして怪我をしてしまったのか。
「清光、大丈夫か!?」
同じ厨にいた仲間が駆け付ける。
茶碗と同じ、黒い服を着ていたが、金の模様が描かれて、どこか不良に見えた。裏路地で屈み込まれたら怖くて近寄りたくないし、関わりたくもない不良高校生に見える。しかし、髪型は個性的で片目を隠し、片側は編み込みを入れて洒落っ気を出している。
……やっぱり不良かもしれない。主の本の読み過ぎだろうか。
「おい、清光!」
「ごめん」
再び名前を呼ばれて顔を上げた。目の前には金髪の太刀の姿。触るな、と腕を掴まれ、破片拾いが出来なくなってしまい、項垂れる。
「危ないだろ、箒持ってくるから、待ってろ」
「これ、主から貰った大事なお茶碗だったんだ」
言いながら、もう一度拾おうとした。
大切な茶碗を割ってしまった悲しみと、貰ったものを失ってしまう罪悪感が押し寄せて、ついつい拾いたくなってしまうの。
傷が付いてしまったのは、貰ったものを割ってしまった罰なのかもしれない。
すると、目の前に人影が出来て、再び腕を掴まれる。
「お前が傷付くのは見てられない」
「あ……」
切れた指が相手の口元に運ばれたかと思えば、指が咥えられる。
滲んだ血は生暖かい舌に寄って舐め取られ、傷口が舌に抑えられるとぴりっと小さな痛みが走る。思わず指を引いてしまったが、軽く歯を立てられ逃れられない。
「あの、獅子王?」
少々戸惑いの色を見せながら問い掛けてみると、傷口に優しく触れる舌はぴちゃり、音を立てて離される。
唾液で濡れた指は外気に触れてひんやりとした。視線を銀の瞳に移すと直視されていたので何だか照れる。ほんのり頬が赤く染まった。
「えーっと、何?」
「その茶碗って、そんなに大事なのか」
「当たり前でしょ、主に貰ったんだから」
「そうか」
獅子王は裏口の出口まで歩くと扉を開けたところで振り返る。
「その茶碗、清光に愛されて良かったな」
「……え?」
箒を取りに行ったのだろう獅子王の横顔は不貞腐れているように見えたのは気のせいだろうか。取り残された加州は首を傾げた。
「そういえば、いつから俺のこと、下の名前で呼ぶようになったんだろ……」
割れた茶碗の前で屈み、未だ残る疑問に首を傾げたまま、視線を濡れた指に移す。
唾液でひんやりしているが大分乾いてきた指。厨に誰もいないのを確認してから、その指を自ら咥えた。
「……ん、」
乾いた唾液は再び水気を取り戻し、己の唾液と混ざり合う。混ざりあっているように感じているだけなのかもしれない。それでも、己の口の中で解ける彼の唾液。
「んん……」
夢中になって指を咥えて、舐めて、吸い、ほんの僅かな彼の唾液を感じた。
ぴちゃり、唾液が音を立てて鼓膜に響く。
ぴちゃ、ぴちゃり。何度も何度も、飢えた子供のように指をしゃぶる。
本当に愛しているのは他でもない、ここにいた彼。
「おい、清光」
「……!?」
突如、聞こえた声に顔を上げる。驚いた表情で見下ろす銀の瞳。それ以上に驚いた顔をしているのは、恐らく己なのだろう。咥えていた指を咄嗟に離した。痛みは少し残るが、血は完全に止まっているようだ。
「そんなに、痛むのか。手入れ部屋、連れて行こうか?」
「い、いや……」
「……ん?」
気付いていない。服で唾液の付いた指を拭うと、再び破片を拾おうとする。しかし、腕を掴まれて阻止されてしまった。
「おい、駄目って言ったろ」
「いてっ」
手の甲をぺちっと叩かれ、拾うのを止める。そうだった。箒を持ってきてくれたというのに、動揺して頭の中が混乱しているのだ。加州は立ち上がり、一歩、その場から退く。
「そんなに大事なら、俺が代わりに買ってきてやるから」
「そ、そうじゃない……」
「はいはい。主から直接貰うのが良いんだよな。わかってますよ、初期刀様」
「その言い方、止めろよ」
「……?」
気付けば、変な呼び方をする獅子王を睨んでいた。
紅い瞳に睨まれた獅子王は箒を動かす手が止まる。あまりにも低い声で呟かれたのでびくりと肩を震わせたが、再び破片を一つに纏めて塵取に入れた。
視線から逃れようとするために。
「悪かった。お前の大事な茶碗だったんだよな。後でちゃんと主に謝っとけよ?」
気まずくなった獅子王は片付けを終えると箒を持ったまま裏口から出ていこうとしたが、背中から温もりを感じて足を止める。腹部に両腕を回されたので振り返ってみると、そこには背に顔を埋めた加州の姿があった。
「なんでわかんないかなー」
ボヤくように呟く。両腕に力を込めて更に強く抱き締めては背中に額を押し当てた。
いつから共に一緒にいたのか。
思い出を振り返れば、下の名前で呼ばれた意味も分かった気がする。
何をするにも、いつも一緒で、後からやってきた獅子王の世話をしていたのは加州だ。
この本丸に最初に顕現された加州は近侍としても、隊長としても、忙しなくみんなの世話をしてきた。仲間が増えた頃、やる事が半減した加州は戦や遠征、近侍だったり、今までのように忙しなく動くのではなく、何か一つのことに集中して取り組めるようになっていたのだ。そんなときに、獅子王と出会った。
平安刀だからなのか。三条たちと同じようにどこかマイペースで抜けているところがあり、どこか危なっかしくて見てられない。心配になった加州は一つ一つ、丁寧に本丸の生活について教えた。
そうしているうちに、懐かれたのか。まるで野良猫を世話していたら、別れ際、後を着いてくるようになったので育てることにしたペットみたいだと笑ったことがある。
その話をする度、獅子王はいつも不貞腐れた表情を見せるので面白い。けれど、本当のことだ。それくらい、懐かれていた。下の名前で呼ばれてもおかしくない程に。
「好きなんだよ。主よりも、獅子王のことが」
「……けど、茶碗は」
「主から貰った茶碗は確かに悲しいけど、獅子王に冷たい態度取られる方がもっと悲しいって、なんでわかんないんだよ!」
顔を真っ赤に染めて怒鳴った加州は瞳に涙を溜めて、視線を逸らす。
名前で呼んでもらえたのに、こんなに大事にしてもらえてるのに、言ってしまった。
刀だと言うのに、人間と同じ真似をして、男同士なのに、好きだと気持ちを伝えてしまった。
嫌われる。
好きだった相手に嫌われる恐怖がどっと襲い掛かり、ぽろぽろと頬を伝って涙が落ちる。
この場を出て行こうと、相手から腕を離した加州は裏口の外へ向かい走り出した。しかし、
「わっ、……ンンッ!?」
腕を引かれて動きが止まる。
急に体が反対側に引かれたので驚いて瞳を見開いたが、体が引き寄せられた先は温かい彼の腕の中。言葉を紡ぐ唇は柔らかいそれで塞がれる。
「……清光、俺も好きだ」
「ばっ、ばかっ!」
「へへ、なんだ。俺たち、両想いって奴だったんだな」
へらりと笑う獅子王の表情。いつものマイペースな彼の笑顔に止まらない涙は更に溢れて…
「おいおい、泣くなよ」
「う、うれしくて、ないてるんだよ……」
声が震えて、上手く伝えられない。それでも、言わないといけないと思った。
「俺も、獅子王のこと、好き」
泣きながらも笑顔を浮かべて見せた。この幸せは彼に伝えられただろうか。
いいや、伝えられただろう。
「これからも、俺のそばにいてくれよ?」
「うん、当たり前だろ。俺が世話した獅子王なんだから」
「俺はペットじゃないって、前も言った筈なんだけどな」
困ったように笑う獅子王にくすっ、と小さく笑い、自らも唇を重ねる。
次はもっと長くて深い口吸い。
主から貰った大切な茶碗を割ったことがきっかけで、幸せを得てしまったのは、自分らの主に申し訳ないと思いつつも、それ以上に幸せを感じられたのだから気にするのをやめる。
今は目の前の幸せをいっぱい感じようと思った二人だった。
数時間後↓
加州「主、ごめん。茶碗割っちゃった」
主「仕方ないよ。形ある物は直ぐ壊れるからね。ところで、その手に持ってるのは新しい茶碗かい?」
加州「うん。獅子王から貰ったんだ」
主「へ~、可愛いね。よかったじゃないか」
加州「主も、ありがと」
主「????」