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​河原の子

太陽の光に反射してキラキラと輝く川の水。小さな指を水に浸すとひんやり冷たくて気持ちが良い。

河原の子は初めて見る水が不思議で堪らなくて、何度も指を入れたり、腕まで入れたり、ちゃぷちゃぷ音を鳴らして遊んでいた。

 

「やーい、やーい」

 

どこかで子供の声が聞こえる。

水遊びを止めた河原の子は声のする方へ近付いてみる。すると、そこにいたのは見窄らしい着物を着た男の子と女の子、その向かいには身形の整った男の子の姿があった。

どうやら見窄らしい姿をした子供二人は兄妹のようで、男の子が女の子を守っているようだった。

一方、高そうな着物を着た男の子は石ころを二人に投げ付けて遊んでいる。

裕福な家庭の方が偉い。逆らえば殺されてしまう。それが当たり前の時代。恐らく、貧乏人を馬鹿にする為にわざわざ辺鄙なところへやって来たのだろう。

よくある話で見慣れた光景だ。

石ころを持った男の子は大金持ちの男の子だろう。自分より下の者を苛めて楽しんでいる。これも一つのお遊び、出来ることなら関わりたくない状況。子供は勿論、大人もだ。

この場合、守りたくても守ってあげることが出来ない。皆、自分の命が大事だから。

その現場を暫く見た後、目を逸らして場所を移動した。

河原の子も同じなのだ。

〝助けてあげたくても、助けられない〟

嫌なものからは、見たくないものからは、目を逸らすしか方法がない。とても無力な存在だった。

 

河原の子はとある場所へと帰る。帰る場所はよくわからないが、身体はちゃんと、変えるべき場所へ帰ってくれる。勝手に足が進むのだ。

その場所は無数の刀が置かれたとある鍛冶場。深みのある赤を貴重とした艶のある鞘に入った刀が部屋の隅に立て掛けられており、必ず、そこに身を置くのだ。

「見た目だけが全てじゃないんだ」

誰かが、そんなことを言った。

「忘れるでないぞ、見た目ではなく、心だ。誰かを思いやる心が、一番大事なのだ」

誰かが話し掛けてくる。それに対して、『わかった』と返事をしたくても声が出ない、伝わない。だから、ただ聞いていた。ただ聞くことしかできなかった。無力で何もできない子供。

何故なら、河原の子は…………



 

「清光ー!!」

「んー、なんだよ?せっかく、気持ち良く昼寝してたのにさー」

「オラ、畑仕事サボってんじゃないぞ」

「はいはい、わかってるよ」

相棒、とは言いたくないが同じ打刀で、元の主が同じ大和守安定が起こしに来た。

畑仕事で疲れた加州は休憩しようと川の流れる畔に腰を下ろした所で眠っていたようだ。

眠気を完全に覚ます為に川の水を両手で救うと顔を洗う。ひんやり冷たくて、気持ちが良い。眠気が完全に覚めるまで何度か同じことを繰り返した。川は太陽の光に反射してキラキラ輝いている。とても綺麗で懐かしく感じた。

「見た目ではなく、心、ね」

「どうしたんだい?」

「なんでもない」

誰かがそんなことを語りかけて来た。あれは誰だろう。多分、同じ名前の別の人で生みの親。そんな気がする。

「ボロボロの俺でも、愛されてた?」

曖昧な記憶。かつての主は自分を捨てた。けれど、捨てる前、何かをしようとしてくれた。何か、何かを。

「清光ー!早く来ないと首を落とすぞ!」

「あ、はいはい。今、行くよー」

考えるのを止めた加州は、これ以上怒鳴られる前に駆け足気味で当番へと戻った。

 

『見た目ではなく、心だ。誰かを思いやる心が一番大事なのだ』

 

加州は振り返る。振り返った先には誰もいない。けれど、声が聞こえた気がした。

 

『見た目だけが全てじゃない』

 

---言われなくてもわかってる

 

河原の子は流れる川から目を背けた。

愛される為にも、身だしなみを整えるのは大事なこと。汚い姿は嫌われる。汚い姿は捨てられる。

かつて見た記憶。みすぼらしい姿をした子供は、裕福な家庭の子供に石を投げられていた。

まともな衣服を持たぬ大人は、嫌われて、捨てられて、殺されていた。

汚れた姿は嫌われる。汚れた姿は誰も愛してなどくれない。

愛されるためには……


 

「忘れてしまったんだね」

「え?」

「どんなに汚くても、どんなに酷い姿になっても、愛してくれた人がいたことを」

河原の子は悲しそうな声で呟いた。

己よりも背が小さくて、身体に見合わない打刀を両手に抱えている。けれど、濃い茶髪に赤と黒の衣装は己と似ていた。

似ていて当然だ。だって、こいつは……

「残念だね」

「それは、どういう意味かな?」

「加州清光は俺のこと、忘れたんでしょ?俺のことなのに、俺のことを忘れるなんて、俺は残念だよ。お前だって、自分のことを忘れられたら残念だと思うだろ?」

「何が言いたいんだ?」

「……自分のことを愛せないのに、他人に愛されるなんて思わない方がいいよ」

冷めた目付きで睨む河原の子。幼子だというのに、全てを見据えた子供の話す言葉はどっしりと重く、加州に突き刺さる。

言い返そうにも、言い返せない。何かを言わなければ。思考を巡らせても、重い言葉が己に伸し掛り、何かが喉が詰まったかのように声を出せなかった。

両手で喉を抑える。熱くて苦しくて、呼吸が出来ずに屈み込む。その場で俯いて必死に意識を保とうと呼吸を試みるも、上手く酸素を取り入れることが出来ない。視界はどんどん白く覆われてゆく。

「加州清光」

河原の子は小さな両手を己の背に回して抱き締めた。

そして、耳元で囁く。

「お前が忘れていても、俺は覚えてるよ」

意識はどんどん遠のいて、体から力が抜けてゆく。

「みんなが愛してくれなくても、俺は愛してるよ」

汚れた自分でも?


 

『加州清光だけは、ずっと愛してるよ』


 

目を覚ますと、そこは見慣れた天井。額には冷たいタオルが置かれて、とても心地よく、再び目を閉じたくなった。

しかし、聞き慣れた仲間の声に眠りを妨げられる。

「起きたかい?」

「……あれ、俺、なんでここにいるの?」

「覚えてないの?」

「……?」

水色の着物にポニーテールで髪を纏めた仲間が呆れの溜息を吐いて答える。

「突然倒れたんじゃないか。調子悪いなら、今度からはちゃんと言ってよね」

「倒れた?」

「もう……。それも覚えてないんだ」

 

『お前が忘れても、俺は覚えてるよ』

 

夢で見た彼の声が聞こえた気がした。

「ごめん。畑当番だったね。状況は?」

「状況より、自分の体を大事にしなよ。今、昼餉持ってくるから、今日は休んで」

「わかった」

元主が同じだった仲間は部屋を出て行った。

静かになった室内。

「記憶が、ごちゃごちゃだ。気持ち悪い……」

静かな部屋の中で横たわっているのに、頭の中がぐにゃりと捻じ曲げられて吐き気がする。けれど、ここにいては行けない気がした加州は、立ち上がる。

己の本体が探して部屋中を見渡すと部屋の隅に立ち掛けられていたので、直ぐに手に取った。

「行かないと、ね」

ふらり、よろめきながらも、刀を杖替わりに川の畔へと向かう。

 

加州は思い出した。かつての主が、ボロボロになった自分を直そうとしてくれたこと。

けれど、結果は切ないもので、修繕出来ない程に刃こぼれが多すぎた。

ボロボロになるまで愛されていた。

最終的にボロボロになって捨てられた。

汚れた者は誰からも愛されない。ご飯もまともに食べられない生活で、人々に嫌われて生きていた生みの親。

汚れなければ愛してもらえるのだろうか。

川の水で遊びながら、幼い頃に染み付いた記憶。

刀だというのに、嫌われた人を助けることができず、刀だというのに、悪人を罰することが出来ず、貧乏人は何も出来ない。

これが現実だ。

 

---残念なのは、お前の方だ、加州清光。

 

川の畔で叫ぶ。

河原の子は、背丈に合わない打刀を両手に抱えて、こちらを睨んだ。

『何が残念だって言うんだ?』

「一番自分を愛してないのはお前の方だろ、加州清光」

『……』

河原の子は睨んだまま、何も言わない。何も言えない。

二人は同じ記憶を持っている。本当は何もかも、忘れた訳では無かった。

「汚れた者は、心も汚れてるんだ。心が汚れている者は自分が汚いことを知っているんだ」

『それは、みんなが同じ訳じゃない!』

「努力して、綺麗になろうって思った者が変われるんだ」

そう、加州清光はここにいる。綺麗な姿でここにいる。

かつては沖田総司に愛された刀。それは努力したから、名を残す事ができた。非人小屋で生まれた刀が、こうして名を残すことを、努力したと言わずに何と言うのだろうか。

忘れてはならない。積み重ねた土台の事を。

「努力をせずに、綺麗な俺だけを好きになって、汚いお前は俺に縋ることで辛い過去を失くそうとするなんて、醜いよね」

『醜い俺は、嫌い?』

河原の子は瞳に涙を溜めて、こちらを見た。

同じ背の高さに合わせて屈み込むと、その小さな身体を両手で抱く。

「醜い俺も、加州清光だ。嫌いになんてならないよ」

『……良かった』

小さな両手も、また加州を抱いた。

「おかえり、俺」

『ただいま、加州清光』

小さな身体はやがて光の粒子となって消えた。心が温かく感じて、ぐにゃりとした思考は止む。ふらふらだった身体は元に戻り、視界がはっきりとする。

気持ちもすっきりした。

「俺は、俺のことも好きだし、みんなのことも好きだよ」

川の水は、太陽の光に反射して、いつまでも、いつまでも、輝いていていた。

 

『忘れては行けないよ。見た目ではなく、心だ。誰かを思いやる心が一番大事なのだ』

 

加州清光の心の中に、その言葉はいつまでもずっと響いていた。

醜くて汚い自分も、この心には同じ思いを抱えていたのだ。その思いは誰かを思いやる心で、そして……

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